三の章  春待ち雀
G (お侍 extra)
 


     
山帰来(さんきらい)


          




 平八への快癒を告げた医師殿は、久蔵の腕へも格段の快癒宣言をして行ったらしく、肩までを全部覆うほどものギプスで痛々しくも固められていた腕は、手首近くだけを残しての解放を為され。大仰ではなくの“穹を舞うほど”という身軽さを縫い止めていた重しが大幅に退けられの、自由の利く身へと解き放たれたのを契機に、

 「シチさんが虹雅渓へ向かうと言うておる。」

 久蔵の身の不自由を補佐し、惣領殿ともどもの身の回りのお世話を一手に引き受けていた、気配り上手で器用な槍使い殿だが、

  『虹雅渓へ、世間の風評を確かめに行きたいのですよ。』

 まめまめしくもくるくると、動き惜しみをせずのよく働きながらも、そんな日々の煩雑さに埋もれさせることなくのずっと、意中に留め続けていらしたというのが、一カ月ほど前に彼らが立ち向かった、あの“都”襲来とその撃沈という大騒動。新しい天主に就任したばかりの右京が、表向きには慈悲深い”野伏せり対策”を打ち出したその成果を見て回る、言わば“行幸”としてやって来たそれだったのだが。実を言えば…商人たちや天主らの暗部、前の大戦からこっち いかようにして米をその手へ独占して来たのか、野伏せりたちの“主人”は誰だったのかといった真相を知る者らを殲滅し、それと同時に自分らへ逆らえばどうなるかを示すための卑劣な策謀。そんな腹黒い大虐殺を、絶対的な武力を笠に着て敢行しようとしての訪のいであり。それがための気張った大所帯の軍勢の襲来が、

  ――― ほんの一桁という頭数の侍たちにより、見事叩き伏せられただなんて

 一体誰が信じようかということで、こちらへの関心と言ったらば…今のところは悲劇が起きた場所として“神無村近く”と取り沙汰されている程度だそうだが。自分たちが彼らの複雑な関係図や悪行を知り得たように、あの騒動の本来の目的に“見せしめ”という意味が含まれていたように、その対象でもあるところの…商人たちへの関わりがあって“真実”を知る者は他にもいる。そんな彼らの動向も含め、世間からは一体どんな把握をされているものか、外側からの見解・風評を確かめるため。ここから一番のご近所で、我らに何かと縁も深かった先進の街へ、こっそり訪のうてみようかと思うと言い出したのだそうで。
「向こうには正宗殿もいれば、シチさんが懇意にしていた癒しの里の女将もおるでの。」
 正宗のところへ身を寄せている菊千代やコマチの様子なら、勝四郎が頻繁に便りを届けていもするが、それらはあくまでも“伝令役”としてのもの。まだまだ若い彼のこと、周囲を眺めやる余裕もまだなかろうし、何とか落ち着いたとしても、その諸々の背景を深くまでまさぐるために必要な蓄積は足らず。結果、表面的なことしか汲み取れまいと断じてのことであり、
「勝四郎にはいささか手ひどい評価かも知れぬが、それだけ繊細微妙なことゆえに。」
 日頃は剛毅な男である五郎兵衛でも、さすがにいい大人だ、そのくらいは理解もあっての同意を示し、
「そうですね。ましてや勝四郎くんには、純真がすぎて型に嵌まったものの見方しか出来ない傾向
(きらい)がありましたし。」
 あの生々しくも激しい戦さを体験し、理想と理屈と現実の差異だとか、彼なりに拾って多少は変わったところもあるのかも知れぬが。そんな“かも知れぬ”をあてにしていいことではないからこその運びだと、平八にも頷ける的確な対処であり、
「ならば、尚更急がねば。」
「ヘイさん?」
 ほんの昨日からのようやっと、その身を起こせるようになれたからと。早速のように…何やら鋼のあれこれを、手元に掻き集めていた工兵さん。恐らくは横になっていた間に構想や青写真を固めていたものであるらしく、細かい図面さえ引かぬ鮮やかな手際。だが、そんな彼であることへは、先の神無村大決戦の折に発動させたる巨大な弩作りという前例があったので、五郎兵衛としても今更驚嘆しなかった。ただ、
「それは一体?」
 今の今、彼の手元に組み上げられている何物かは、カマボコ板を何枚か重ねたような大きさ厚さの小さなものながら、余程に複雑な機巧
(からくり)なのか、中にはぎっちりと様々な部品や回路が詰め込まれている。それへと、錐と見紛うほど先の細いドライバーやハンダごてにて、あっちからこっちからとつつき回しての手際よく、さかさかクルクル、手を入れ倒している入魂振りは、結構な集中で行われているものであったりし。
「出来てからのお楽しみですよvv」
 完成を急ぎたいからか、説明もはしょってのただただ手元を動かす彼であり。あんまり小さなものが相手だからだろう、小さな体をなお丸め気味になるのへは、
「これ、ヘイさん。」
「おっと。」
 患部が腹部であったがゆえに、無理をしないよう、時折声をかけての身を起こさせたものの。それ以外へは五郎兵衛もただただ黙って見守るだけ。何がどうという理屈が判らないからというのもあったが、こうやって何かへ集中している時だけは、作り顔をしない平八なのだと気づいたからでもある。鮮やかな手際がこうまでその身に染みつくほど、彼にとっては好きなことだから、なのか。
“好きか嫌いかはともかく…。”
 挑みかかるにあたっては真剣真摯な集中を必要とし、そのキリキリと窮屈な緊迫が、苦しいけれども心地いい。無意識の内のことだろうが、平八の口元、口角がほんの微かながら上がっていて、素の表情での笑みを浮かべているのもその証拠だろうてと。眺めやる五郎兵衛殿の方までが、何とはなし、その口元をほころばせる。

 「…と、これで完成です。」

 きっちり蓋をしてしまうと、ただの四角い鋼の箱、どうやって中身を覗けるのかさえ判らなくなる、持ち重りのする金属の塊にしか見えないが、

 「これは何と、通信機なんですよ? それも遠隔地用の。」
 「遠隔地用の通信機?」
 「ええ。この神無村から虹雅渓との交信が出来るほどのね。」
 「…?」

 それはまた、妙なことを言うお人だと。そんな顔になったのを見抜かれて、だが、平八の側にも予測はあったのだろう。そんなお顔さえ称賛になるのだということか、ふふふと楽しそうに微笑って見せる。とはいえど、
“通信、ねぇ…。”
 何せ、あの大戦以降、この大陸においての遠距離通信は不可能とされて久しい。それまでは、戦場という局地的な範囲でしか使えぬもののみならず、それこそ軍の指揮系統を支えたそれとして、中央執政部や大本営からの指示が遠方の前線へも伝達出来るよう、無線通信の技術はそれなりにあった。ところが、あまりに激しい戦闘が繰り広げられた大戦末期に、情報の混乱を狙ってのジャマーをばら蒔き過ぎたせいで…とか、大破した機巧侍や艦体がこぼしたナノ物質が空気中に規定量以上拡散された後遺症、電波信号のことごとくへ余計な反射をさせるせいで…とか、もっともらしい事情の下、広域通信は不可能ごととされてしまい。その実、戦時下で活躍した通信システムの大元は、有線無線のどちらも、軍部へじりじりと食い込んだ商人たちの手に独占されていたのが現状。そんな伝家の宝刀があったればこそ、野伏せりたちを配下に収め、辺境の地を自在に襲わせることも出来たのだし、自分たち以外の存在へは遠隔地同士の情報交換を容易でないものとしたことから、そんな穢らわしい事実真実を覆い隠すことも容易だったと言えて。
「だがの。いくら“都”を墜としたとはいえ、他の地に生き残った組織やら何やがあっては、結局同じではないのか?」
 無線による交信とは大雑把な言い方をすれば、特定の周波数を帯びさせた電気信号を空中へと放し、受け取る側はそうやって空中を飛んでいるそれを捕まえ、電気信号を翻訳することで情報のやり取りをする、ということであり、その際には“周波数”というものが鍵になる。チャンネルなんて言い方もする“それ”は、これもまた大雑把だが、回線通信で言うところのケーブルのようなもので。前以て階層を取り決めておいて、その周波数を帯びた電気信号を放ち合いの受信し合い、それで会話をするのが無線交信であるのだが、それを遠隔地同士で成り立たせるには、強い電波が必要になってくる。遠くまで届けようとするならば、途中の空中で摩耗せぬよう、中継地を設けるか、はたまた強力な馬力のある電波でも使わないと届き切らない。また他の利用者が強引なまでの強力な電波を発信していたら、当然のことながら掻き消されてのやはり目的地まで届かない。よって、不法な電波機器の使用は定時連絡・緊急連絡の妨げになりますので厳禁と、関係省庁が口を酸っぱくして注意してもいる訳ですが、それはともかく。

 「そんな小さな機体で、遠隔地までの電波が飛ばせるものなのか?」

 たとえ知識があっての、精巧な通信機器を作ったところで、交信用の電波周波数というものを強力な電波にて独占されていては、どうにも割り込む余地もなかろうから意味がない。戦後のこれまで、そんな事情から一般人は早亀便という飛脚に頼る他はなかったのにと、道理が判っていればこその怪訝そうなお顔をした五郎兵衛殿へ、
「別に途轍もなく強力なものを用いる必要はないのですよ。」
 平八はやんわりと微笑って見せる。何せそっちの専門家。五郎兵衛以上に、理屈も現状も判っているはずの彼であり、
「これで発生させるのは、水晶の振動を生かした、それはなめらかで長い長い波長の、特殊な電波なんですよ。」
「…ほほぉ。」
 無色透明な空気や水を満たした空や海が、なのに青く見えるのは何でだと思います? 空中や水中で、細かい塵や大きめの分子に真っ先に当たるのが波長の短い青だから、太陽光線を組成している色味の中、それが真っ先に弾けて反射してのことなんですよね。晩秋の夕焼けがやけに壮大なのは、逆に空気が乾いて澄んでいるがため。赤みの強い、波長の長い光の反射を、より多く望めるがための現象なんですが…余談はともかく。
「本来だと使いようがない高さの周波数でも、この通信機なら余裕で網羅出来ます。しかも、中継局もさして必要なくにね。」
 細かい説明はメモしておきましたから、この書状ごと、そうですね虹雅渓の正宗殿に渡してもらうよう、シチさんへ伝えてはくれませんか? 平八はそうと言い、それは穏やかに微笑って見せる。
「試験運用というところかの?」
「ええ♪」
 楽しみだなぁと微笑ったお顔は本当に、素直で屈託のない笑顔ではあったが。常のこととてそれでも、五郎兵衛を困らせてもいた、あの作り笑顔ではなかったが。

 “………勘ぐり過ぎというものかの。”

 お顔云々というその手前。安静にしていた頃、気がつけば何やら思惟に耽っていた彼だったのは、この通信機についてを考えていたからですよと。そんな“言い訳”を、暗にして見せた平八なのではなかろうかと。今更、それも五郎兵衛相手にそんな必要もないのに、何故だろうか、誤魔化されたような感触がふとしたのだが…。





          ◇



 それから5日ほどが経過して。虹雅渓から戻って来た七郎次から、天主を失った世間の風評や、差配が事実上“行方不明”になっている街の様子や何やが伝えられ。欲望というより怨嗟の塊りと化していた新しい天主を乗せたまま、あの“都”が無残にも撃沈させられたその真相はというと。その残骸がそれはそれは手際よく、式杜人の新しい禁足地になりつつあるという現状から。何年かかるかは判らぬながら、薮の中に放り込まれての曖昧模糊となるのは時間の問題と、そんな決着を見ることだろうというのが関係者全員の認めるところの結末になりそうな気配。こんなに小さな神無村や、先の天主に少なからぬ因縁があることにされている、勘兵衛率いるほんの数人の侍たちが、関与しているのどうのという取り沙汰は全くされてはいなかったし。そこいら辺りの内幕や事情を知る者が、他にはいないという訳ではないけれど。彼らにしたところで、それらの事実は“諸刃の剣”だとよくよく知ってもいる。事の顛末をきれいさっぱり、一から十まで詳
(つまび)らかにしたならば、先の天主やそれを継いだばかりの右京らが、どれほどの恣意的な暗部を持っていたのかも明らかにされる。戦後の世界で行き場のなくなった機巧侍たちを取りまとめ、蔑みを込めた“野伏せり”なぞと名乗らせて。彼らを顎で使っての暗躍し、米や女たちを力づくにて強奪しては我がものとし、ぬくぬくと自分たちの懐ろだけを温めていただなんて。そんな…人を陰気にさせるよな、やり切れないばかりの濁った事実なぞ、いっそ闇に葬った方がいい。嘘ではあるが、それでも。いい人だったね、素晴らしい置き土産を残してった人だったねと、何にも知らない人々から惜しまれている、そのままにしといた方がずっといい。暴動が起きての混乱を招くより、そんなお人が残した機構、私らで支えようという市民階層が健やかに育ってくれた方がいいからと、街はおおむねそんな空気であるようですよとの報告を受けて。侍たちの総領である勘兵衛や村の長老、五郎兵衛らが、何とか安堵し、愁眉を開くに至った………その翌日。



  「お帰りなさい。」

 戸口から入って来た五郎兵衛を、寝台に上体を起こしての座った姿勢にて待ち受けた同居人さんは。期待に満ちた眼差しで、そりゃあもうニコニコと微笑っておいで。今朝方の不意に、五郎兵衛が七郎次経由で虹雅渓の正宗殿へと預けたそれと、全く同じ型の通信機からの電子音が鳴り響き。そこから傍受されたものらしい信号の仔細を、丸っこい手で筆を操っての余さず書き留めた平八は、
『ゴロさん、お願いがあるのですが。』
 そんな言いようをして、虹雅渓から勝四郎がやってくること、翼岩付近に何時頃到達するかということを告げ、それを迎えに出てやってほしいと言い出した。
『…今の通信で、それが伝えられたのか?』
『ええ。』
『確かに?』
『確かに。』
 そういうことが可能な小箱だと、聞いてはいたが…実を言えば半信半疑だった五郎兵衛殿。だって理屈はあまりに専門的で、七郎次に託したその後でもう一度細かく説明してもらったものの、全くのさっぱり飲み込み切れないことだらけ。あの大戦の折などに、交信やら搭乗やらという形での各種機械への操作経験があっても、それはあくまで手順を知ってるということに過ぎず、触った機械の全てに通じている訳ではない。平八がそうだったように、有能な整備担当の工兵が後方にはたんといたから、戦場へ飛び出してくクチの者らには、中身への詳細な知識は要らなかったし、浚いもしなくて当然だった。そこのところは平八にも重々判っているらしく、
『飲み込んでもらえないのも無理はありませんが、だからこその実験のようなものなんですって。』
 小箱が独りでに大騒ぎしてくれたあの時間のリアルタイムに、ここからずんと離れた虹雅渓にいる正宗殿が、

  昨日の早朝、勝四郎くんが街を発ったこと。
  その彼からの中距離通信で、
  中間地点となる禁足地の出口を出たとの連絡を今さっき受けたこと。

 それらを知らせて下さったという大実験であるらしく。まま、少しほどの距離はあるが翼岩までというお出掛けは遠出のうちにも入らぬからと、言われたままに出掛けてみれば。確かに…ホバーの運搬船が指定されてた時間に到着し、乗っていた少年へも驚きのお顔をさせたほど。
『凄いものなのですね、通信機って。』
 だって実は、禁足地を通過していた最中にホバーの駆動系がおかしくなったので、式杜人の皆さんに調整をお願いしてしまった。そんなこんなで大幅に遅れてしまい、通常の往来ならばもう一刻ほどは早くに着けた筈だという。この往復にもすっかりと慣れた少年は、もう少し先にある別の村への手紙も頼まれているのでと、神無村へは寄らないで発ってしまい、それを見送ってから戻って来た五郎兵衛殿だ…というわけで。

  「いやはや参った。」

 素直に降参との言を述べた銀髪頭の壮年殿。土間から板の間へと上がりつつ、
「ついでに勝四郎が携えて来た書状を渡して来たら、シチさんも眸を丸くしておられたほどでな。」
 ここに集いし侍たちは、勝四郎と菊千代以外は大戦経験者だ。だからこそ、局地的な戦場での通信は知っていても、はたまた戦時中の、何にも優先された大本営通信は覚えていても、今の時代に、リアルタイムでこうまでの遠隔地通信を、しかも市井の工兵の手で出来ただなんて、五郎兵衛がそうであったようににわかには信じがたかったに違いなく。その同じ感覚にて彼もまた、それはそれは驚いて下さったよと告げたところ、
「そうですか…。」
 意表をつかれたようなお顔になってしまった平八であり、
「ヘイさん?」
 少し俯いて、どこか照れての面映ゆげ。何も七郎次にまで誇らしげに自慢したかった彼ではないようで。そんな不意打ちに、どんなお顔をすればいいやらと戸惑ってしまっているのだろう。そんな含羞みのお顔を、こちらも苦笑を浮かべて眺めやっておれば、

  ――― そのシチさん、何だか大きなお声を立てておられませんでしたか?

 誤魔化したくてのことだろか、そんなことを訊いて来た平八だったので、
「ああ、あれは。」
 勘兵衛殿が久蔵殿と共々に、何やら叱られておられての。包み隠さず、目撃したことを暴露してやれば、
「…はいぃい?」
 どこか頓狂な声を上げる。まま、無理もなかろうて。われらが首魁、島田勘兵衛殿といえば。あの壮絶な戦いを控えていたからという、いかにも深刻だった背景を退けたとしても。常の日頃からそれは重厚な寡黙さにて、落ち着いた存在感を保っておられた壮年様で。さしたる意図もないままに背中まで伸ばされた深色の蓬髪も、随分とくたびれての褪めた色合いの装束も、落ち着き払った哲学者の静謐な佇まいの一部に見えるほど。何につけ経験豊かであろう、懐ろの尋も深かろうと、黙っていても匂い立つ、威容に満ちた構え方をしていた総領殿。この五郎兵衛殿と同じくらいの年齢だろうに、ご陽気なところは全く見せず。随分と納まり返っての物静かな、あくまでもストイックな もののふという印象ばかりが強い御仁だっただけに、
「シチさんから叱られておられたと?」
「ああ。しかもその後、久蔵殿を肩へと担ぐと脱兎のごとくの逐電を遂げられての。」
「…ははぁ。」
 そんな愉快な…もとえ、軽やかな挙動もこなされる御仁だとは思いも拠らないのが、まま普通の反応だろうと、呆気に取られている平八には五郎兵衛殿も苦笑が絶えない。
「まあ、いくら司令官だとはいえ、大戦時は元より、先日の戦さにても、実戦に自ら立っておられたお人だよってな。」
「…そうでしたね。」
 そこへと至るまでの他の修羅場へも、先頭切って斬り込むような、そんなお人でもあったのだというのを思い出し、
「たとえ頭数が足りていたとしても。率先して飛び出してったのではなかろうかと、そんな風にお言いでしたしね。」
 机の前にて作戦を立てるだけの戦略家にあらず。その刀捌きの腕も戦いへの勘も人並外れて優れている御仁であり、そういった本人の特性云々のみならずのこととして。危険な修羅場には他人をやり、自分は“大局を見届けねば”と安全なところにいるような、そんな尻腰のない司令官ではないところが、
“副官としては困ったお人でもあったことだろうよの。”
 今回のような場合は究極の例外であり、多くを束ねていればいるほど、ずんと高みにいて、広くを把握してもらわねば困るお立ち場だというに。黙って俺について来いとばかり、いつだって先陣切ってた“カミカゼ部隊長”だったそうで。それでも生き残れたのだから、勝利のツキには縁がなくとも、余程のこと運がいい御仁なのだろか。いやいや、それだけ“生きる”ということへの意欲がお強い方だからではなかろうか。無為に死んではそれこそ、自分が屠ってしまった数々の魂へ、申し訳が立たないと…。
「…。」
 総領殿の思わぬ行動へと苦笑をし、だがだが、納得が行かぬでなしと。何とはなく視線を向け合ったお二人さんだが、話の継ぎ穂にやや困り、

 「勝四郎くんはお元気そうでしたか?」
 「ああ。そろそろ落ち着いても来たようだ。」

 伝令に徹してのことか、虹雅渓から戻って来てもあまりこの村の中へまでは踏み込んで来ようとしない少年のこと、何とはなしに取り上げる。
「真っ直ぐが過ぎるのも困りものだ。叱りようがない。」
 それでも叱った勘兵衛様へ、師事する人を誤ったと背中を向けたほど、あくまで自負を曲げなかった彼ではあったが。先の修羅場で…その清らかな矜持とやら、自分の手で穢してしまった衝撃が大きすぎたらしくって。何があったかを、こちらの二人は具体的には知らないし、その場にいた顔触れも余り多くを語ってはくれず。ただ、ああまでも武士道にこだわりの、死で名誉を守ることも潔しなどと、頭でっかちな言いようをしていた…そこのところへ深々と触れるようなことであったようで。その結果、あまりに大きなジレンマを抱えてしまい、しばらくの間、どこか呆然としていたと聞いている。理想と現実のギャップだとか、人は微塵も間違えないで生きてゆくなんて出来はしないのだということなどなど、身を持って知ったことは多かったに違いなく。それらをどう消化するか整理するかはそれこそ本人の問題だから。口はばったいことは言えないと、大人たちは皆して静観の構え。これだけの大事に巻き込んでおいてそれとは、何とも無責任かもしれないが。我らは侍でしかなくて、それ以上でもそれ以下でもないからと。誰ぞに教えを説けるほど、偉くもなければ見当違いでもないからと。これ以上は彼自身の“自発と責任”が何とかする領域で、それこそ彼を見込んでの静観であり。

 「何と言ってもまだ若い。
  未熟ゆえの迷いもしようが、その分、いくらでもやり直しが利くからの。」

 それに、基盤となる強靭さや気丈さ、鼻っ柱の強さは、既に叩かれて持ってもおったから、きっと大丈夫と笑った五郎兵衛殿へ、

 「そう、ですよね。」

 平八もまた、ほわりと柔らかく、微笑って見せてはいたようだった。





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  *まだまだ長丁場なお話でございまして。
   どうかもうちょっとお付き合いを…。

めーるふぉーむvv めるふぉ 置きましたvv